前回まで、アクティブタッチ・ダイナミックタッチなどを記事で書きました。今回はリモートハプティックスって書きましたが、そもそもハプテックスって聞きなれないですよね。
リモートハプティックスを書く前に・・・いや・・・むしろ、アクティブタッチ・ダイナミックタッチを書く前に本来は知覚について書くべきだったと今更ながら反省・・・
ってことで、前後しますがそれについて書くことにしました。
知覚とは感覚情報と過去にもっているテンプレートとのマッチングの結果得られるrecognition(再認)というものではなく、身体の統一性の相関項としての相互感覚物なのであり、感覚運動統合による人と「もの」との統合状態ということができる。
そして、その時、「もの」と我々とは全体として一つのシステムとなり、それによって我々は自由にふるまえるのである。
〜赤松幹之:人と「もの」とのハプティック・インタフェース 生存と自己表現のための知覚 協同医書出版社 2000〜
なんで、知覚の話から?
そして、ハプティックスって?
これらの事を考えると感覚↔️行為行動は常に相互的に関係。
そのためには、どのように感覚を入力するか、そのためには様々な感覚情報を連続的にそして物を扱うという皮質下での物ではなく、意識を行為に向け無意識的にセラピストが補助する。
そう能動性が必要であり、そのためには過去の経験で行なったことがある物の方が探索と知覚を記憶との照合が測りやすいのではないかと考える。
余談でありますが、私はこの臨床人生の中で学校の先輩が「活動分析研究会」に携わっており、その先輩の背中を見ながら初めて山梨に行きました。そこで、1000人の前で現柏塾長の柏木先生のご講演を見たときに衝撃を受けました。
そこが私の臨床を真面目に考える原点であります。
その中で現会長の山本先生の関わり方など様々な諸先輩かたに触れ、どっぷりその魅力に見せられそして未だに答えが見えない臨床を過ごしている。
経験だけは増えているのですが・・・
ただ、最近Manoを運営しながらわかってきたこと、それは多くの先輩方「尊敬する」方々は機能・症状だけで治療に入らない。それは整形分野においてもそう。
この知覚的側面やナラティブさや文脈がある。
「講義」がすごく上手くても、そこがないセラピストは臨床家ではなく、研究家だと私は思っている。
なぜなら、そこにクライエントがいる限りここは自然発生する普遍的なことであり、そこに答えるのがセラピストのあるべき姿だと思うカラ。
そんな尊敬する先輩方に近づけるように、そして、そんな風にクライエントを思えるセラピストを増やしていく・想いをつなげる会社に私はしたいと本気で思っている。
ってなんか、書き出したら久しぶりに熱くなってしまった!!
次こそは、リモートハプティックスを書きますね!